「エリート信者で脱会する人はいないのかな?」
「私の調べたかぎりでは、そういう例はない」
「いったんシステムの秘密を知ったら、足抜けは許されないってことかしら?」
「そこまでいくとかなり劇的な展開になってくるかもね」とあゆみは言った。それから短くため息をついた。「それで青豆さん、この前話していた少女レイプの話だけど、それってどのへんまでたしかなことなの?」
「かなりたしかだけど、今のところはまだ実証できる段階にはない」
「それは教団の中で組織的におこなわれていることなの?」
「それもまだわからない。しかし犠牲者は現実に存在するし、私はその子に会った。かなりひどい目にあっている」
「レイプというのは、つまり挿入されたということ?」
「間違いなく」
あゆみは唇を斜めに曲げ、何かを考えていた。「わかった。もっと私なりにつっこんで調べてみよう」
「あまり無理はしないで」
「無理はしないよ」とあゆみは言った。「こう見えて、私はなかなか抜かりのない性格だから」
ふたりは食事を終え、ウェイターが皿を下げた。彼女たちはデザートを断って、そのままワインのグラスを傾けていた。
「ねえ、青豆さんは子供のときに男の人にいたずらされたりした経験がないって、この前言ったよね」
青豆はあゆみの顔の様子を少し見て、それから肯いた。「私の家庭はとても信仰深くて、セックスの話はいっさい出てこなかった。まわりもみんなそうだった。セックスというのは触れてはいけない話題だったの」
「でもさ、信仰深いのと性的な欲望の強弱はまた別の問題でしょう。聖職者にセックスマニアが多いってのは世間の常識だよ。実際の話、売春とか痴漢行為とかで警察にひっぱられるやつには、宗教関係者と教育関係者がずいぶんと多いんだから」
「そうかもしれないけど、少なくとも私のまわりには、そういう気配はいっさいなかった。変なことをする人もいなかった」
「それはなによりだね」とあゆみは言った。「それを聞いて嬉しいよ」
「あなたはそうじゃなかったの?」
あゆみは迷いながら小さく肩をすぼめた。それから言った。「実を言えば、私は何度もいたずらされたよ。子供のころに」
「たとえば誰に?」
「お兄ちゃんと叔父さん」
青豆は顔をいくらかしかめた。「兄弟と親戚に?」
「そのとおり。二人とも今、現役の警官をやってる。叔父さんはこのあいだ優良警察官として表彰までされたよ。勤続三十年、地域社会の安全と環境の向上に大きく貢献したって。踏切に迷い込んだ間抜けな犬の親子を助けて、新聞にまで載った」
「その人たちにどんなことをされたの?」
「あそこをさわられたり、おちんちんをなめさせられたり」
青豆の顔のしわはいっそう深くなった。「お兄さんと叔父さんとに?」
「もちろん別々にだけど。私が十歳で、お兄ちゃんが十五くらいだったかな。叔父さんはもっと前のこと。うちに泊まりにきたときに二度か三度か」
「そのことは誰かに言った?」
あゆみはゆっくり何度か首を振った。「言わなかったよ。絶対に誰にも言うなって言われたし、告げ口なんかしたらひどい目にあわせるって脅された。それに脅されなくても、そんなことを言いつけたら、そいつらよりは私の方が叱られたり、ひどい目にあわされたりしそうな気がしたんだ。それが怖くて誰にも言えなかった」
「お母さんにも言えなかったの?」
「<���傍点>とくに</傍点>お母さんにはね」とあゆみは言った。「お母さんは昔からずっとお兄ちゃんをひいきにしていたし、私にはいつも失望していた。がさつだし、きれいでもないし、太っていたし、学校の成績もとくに賞められたものじゃなかったからさ。お母さんはもっと違うタイプの娘をほしかったんだよ。お人形さんみたいで、バレエ教室にかようようなすらっとした可愛い女の子をね。そんなのどう考えても、ないものねだりってものだよ」
「だからそれ以上お母さんを失望させたくなかった」
「そういうこと。お兄ちゃんが私に何をしているか言いつけたりしたら、私をもっと恨んだり嫌ったりしそうな気がしたんだよ。きつと私の側に何か原因があって、そんなことになったんだろうって。お兄ちゃんを責めるよりはね」
青豆は両手の指を使って、顔のしわをもとに戻した。十歳の時、私が信仰を捨てると宣言してからは、母親はいっさい口をきいてくれなくなった。必要なことがあれば、メモに書いて渡した。でも口はきかなかった。私はもう彼女の娘ではなくなった。ただの「信仰を捨てたもの」に過ぎなかった。それから私は家を出た。
「しかし挿入はなかった」と青豆はあゆみに尋ねた。
「挿入はない」とあゆみは言った。「いくらなんでも、そんな痛いことできないよ。向こうだってそこまでは要求しない」
「今でもそのお兄さんとか叔父さんとかと会っているわけ?」
「私は就職して家を出ちゃったし、今ではほとんど顔を合わせることはないけど、いちおう親戚だし、なにしろ同業だからね、対面が避けられないこともある。そういうときはまあ、それなりににこやかにはやってる。ことを荒立てるようなことはしない。だいたいあいつら、そんなことがあったことすらきっと覚えてないよ」
「覚えてない?」
「<���傍点>あいつら</傍点>はね、忘れることができる」とあゆみは言った。「でもこっちは忘れない」
「もちろん」と青豆は言った。
「歴史上の大量虐殺と同じだよ」
「大量虐殺?」
「やった方は適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえる。見たくないものから目を背けることもできる。でもやられた方は忘れられない。目も背けられない。記憶は親から子へと受け継がれる。世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ」
「たしかに」と青豆は言った。それから軽く顔をしかめた。<���傍点>ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘い</傍点>?
「実を言うと、青豆さんにも似たような経験があるんじゃないかって、ちょっと思ってたんだ」
「どうしてそんなこと思ったの?」
「うまく説明できないんだけど、なんとなくね。そういうことがあってその結果、知らない男たちと一晩だけ派手に<���傍点>やりまくる</傍点>、みたいな生活をしているんじゃないかと。そして青豆さんの場合にはさ、そこに怒りが込められているようにも見えたんだ。怒りというか、腹を立ててるというか。なんにせよ普通の、ほら、世間の人がやってるような、まともに恋人をつくって、デートして、食事して、ごく当たり前にその人とだけセックスするみたいなことができなそうに見える。私の場合もまあそうなんだけど」
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