あゆみも渋々ながら同意した。「まったく、こんなに<���傍点>しけた</傍点>金曜日の夜は見たこともないよ。せっかくパープルのセクシーな下着を着込んできたのにな」
「うちに帰って、鏡の前でひとりでうつとりしてなさい」
「いくら私でも、警察の寮の風呂場でそんなことする度胸はないよ」
「いずれにせよ、今日はあっさりとあきらめて、二人でおとなしくお酒を飲んで、うちに帰って寝ちゃおう」
「それがいいかもね」とあゆみは言った。それから思い出したように言った。「そうだそうだ、青豆さん、うちに帰る前にどこかで軽く食事でもしない? お金が三万円ほど余ってるんだよ」
青豆は顔をしかめた。「余ってる? いったいどうしたの。いつもお給料が安くてお金がないってぴいびい言ってたじゃないの」
あゆみは人差し指で鼻の脇をこりこりと掻いた。「実はこの前、男から三万円もらったんだよ。別れ際にタクシー代だって渡された。ほら、不動産会社に勤めているっていう二人組とやったときにさ」
「あなたはそれをそのまま受け取ったわけ?」と青豆はびつくりして言った。
「私たちのことをセミプロだと思ったのかもね」とあゆみはくすくす笑いながら言った。「警視庁の警官と、マーシャル?アーツのインストラクターだとは、まさか思いも寄らないだろうね。でもまあいいじゃない。不動産取り引きでしこたまもうけて、お金が余っているんでしょう。あとで青豆さんとなんか美味しいものでも食べようと思って、別に取っておいたんだよ。やっぱ、そういうお金って生活費とかには使いにくいからさ」
青豆はとくに意見は述べなかった。知らない男たちと行きずりのセックスをして、その代償としてお金を受け取る——それは彼女には現実の出来事とは思えなかった。そんなことが自分の身に起こるというのがうまく呑み込めなかった。まるで歪んだ鏡に変形して映った自分の姿を眺めているみたいだ。しかしモラルという観点から考えてみれば、男たちを殺害して金を受け取ることと、男たちとセックスをして金を受け取ることを比べて、いったいどちらがより<���傍点>まとも</傍点>なのだろう。判断はむずかしいところだ。
「ねえ、男の人からお金をもらうことが気になる?」とあゆみが不安げに尋ねた。
青豆は首を振った。「気になるというより、少し不思議な気がするだけ。それより、婦人警官が売春みたいな行為をすることの方が、気持ち的に抵抗がありそうだけど」
「ぜんぜん」とあゆみは明るい声で言った。「そんなこと私は気にしないよ。ねえ、青豆さん、値段を取り決めてからセックスをするのが娼婦。それっていつも先払いなの。お兄さん、パンツ脱ぐ前にお金を払ってちょうだいね。それが原則。やったあとで『実はお金はありません』なんて言われたら、商売にならないものね。そうじゃなく、値段の予備交渉がなく、事後に『ほら、車代だよ』ってちょっとしたお金を渡されるのは、感謝の気持ちのあらわれに過ぎない。職業的売春とは違う。一線は画されている」
あゆみの言いぶんはそれなりに筋が通っていた。
前回、青豆とあゆみが相手に選んだのは、三十代半ばから四十代前半。どちらも髪はふさふさしていたが、それについては青豆が妥協した。不動産を扱う仕事をしていると彼らは言った。しかし着ているヒューゴ?ボスのスーツやミッソーニ?ウォーモのネクタイを見れば、彼らの勤務先が三菱や三井といった大手不動産会社でないことは推察できた。もっとアグレッシブで、こまわりのきくタイプの会社だ。たぶんカタカナの社名がついている。うるさい社則や、伝統のプライドやら、だらだらした会議に拘束されたりすることはない。個人的な能力がなければやっていけないが、そのぶん当たれば実入りも大きい。一人は真新しいアルファロメオのキーを持っていた。東京にはオフィス?スペースが不足している、と彼らは言った。経済はオイル?ショックから回復し、再びホットになる兆しを見せているし、資本はますます流動化している。どれだけ新しい高層ビルを建てても間に合わないという状況が生まれるだろう。
「不動産業はこのところ儲かっているみたいね」と青豆は言った。
「うん、青豆さん、もしお金が余っているのなら、不動産を買っておくといいよ」とあゆみは言った。「東京みたいな限定された地域に、巨大な金がどつと流れ込んでいるんだもの、土地の値段は放っておいても上がる。今のうちに買っといて損はない。当たるとわかっている馬券を買うみたいなもんだよ。残念ながら私みたいな下っ端の公務員には、そんなお金の余裕はないけどね。ところで、青豆さんは何か利殖みたいなことをする人?」
青豆は首を振った。「私は現金しか信用しない」
あゆみは声を上げて笑った。「ねえ、それって犯罪者のメンタリティーだよ」
「ベッドのマットレスのあいだに現ナマを隠しておいて、やばくなるとそれをひっつかんで窓から逃げる」
「そう、それぞれ」とあゆみは言って、指をぱちんと鳴らした。「『ゲッタウェイ』みたいじゃない。スティーブ?マックイーンの映画。札束とショットガン。そういうの好きだな」
「法を執行する側にいるよりも?」
「個人的にはね」とあゆみは笑みを浮かべて言った。「個人的にはアウトローの方が好きだよ。ミニパトに乗って違法駐車を取り締まっているよりは、そっちの方が魅力的だよ、だんぜん。そして私が青豆さんに惹かれるのは、たぶんそのせいだね」
「私はアウトローに見える?」
あゆみは肯いた。「なんというか、どことなくそういう雰囲気がある。マシンガンを持ったフェイ?ダナウェイ、とまではいかずとも」
「マシンガンまではいらない」と青豆は言った。
「この前話してた、『さきがけ』っていう教団のことだけどさ」とあゆみは言った。
二人は夜遅くまで営業している飯倉の小さなイタリア料理店に入り、そこでキャンティ?ワインを飲みながら軽い食事をした。青豆はマグロの入ったサラダを食べ、あゆみはバジリコ?ソースのかかったニョッキをとった。
「うん」と青豆は言った。
「興味を惹かれたもんで、あれからも個人的に調べてみたんだ。しかし、調べれば調べるほど、こいつ胡散臭{うさんくさ}いところだよ。宗教団体と名乗って、認証だって受けているんだけど、宗教的な実体みたいなのはろくすっぽないんだ。教義的には脱構築っていうかなんというか、ただの宗教イメージの寄せ集め。そこにニューエイジ精神主義、お洒落なアカデミズム、自然回帰と反資本主義、オカルティズムのフレーバーが適度に加味してある。それだけ。実体みたいなものはどこにもない。ていうか実体がないってのが、いわばこの教団の実体なわけ。マクルーハン的にいえば、メディアそのものがメッセージなんだ。そのへんがクールといえばクールなんだよね」
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