どこにその違いがあるのか、思い当たるまでに時間がかかった。そしてそれに思い当たったあとでも、事実を受け入れるのにかなり苦労しなくてはならなかった。視野が捉えているものを、意識がうまく認証できないのだ。
空には月が二つ浮かんでいた。小さな月と、大きな月。それが並んで空に浮かんでいる。大きな方がいつもの見慣れた月だ。満月に近く、黄色い。しかしその隣りにもうひとつ、別の月があった。見慣れないかたちの月だ。いくぶんいびつで、色もうっすら苔が生えたみたいに緑がかっている。それが彼女の視野の捉えたものだった。
青豆は目を細め、その二つの月をじつと眺めた。それから一度目を閉じ、ひとしきり時間を置き、深呼吸をし、もう一度目を開けてみた。すべてが正常に復し、月がひとつだけになっていることを期待して。しかし状況はまったく同じだった。光線の悪戯{いたずら}でもないし、視力がおかしくなったわけでもない。空には間違いなく、見違えようもなく、月が二つきれいに並んで浮かんでいる。黄色の月と、緑色の月。
青豆はあゆみを起こそうかと思った。本当に月が二つそこにあるのかどうか、尋ねてみるために。しかし思い直してやめた。「そんなの当たり前じゃない。月は去年から二つに増えたんだよ」とあゆみは言うかもしれない。あるいは「何を言ってるの、青豆さん。月はひとつしか見えないよ。目がどうかしたんじゃないの」と言うかもしれない。どちらにしても私が抱えている問題は解決しない。より深まるだけだ。
青豆は両手で顔の下半分を覆った。そしてその二つの月をじつと眺め続けた。間違いなく何かが起こりつつある、と彼女は思った。心臓の鼓動が速くなった。世界がどうかしてしまったか、あるいは私がどうかしてしまったか、そのどちらかだ。瓶に問題があるのか、それとも蓋に問題があるのか?
彼女は部屋に戻り、ガラス戸に鍵をかけ、カーテンを引いた。戸棚からブランデーの瓶を出し、グラスに注いだ。あゆみはベッドの上で気持ちよさそうに寝息を立てていた。青豆はその姿を眺めながら、ブランデーをすするように飲んだ。キッチン?テーブルに両肘をつき、カーテンの背後にあるもののことを考えないように努力しながら。
ひょっとしたら、と彼女は思う、世界は本当に終わりかけているのかもしれない。
「そして王国がやってくる」と青豆は小さく口に出して言った。
「待ちきれない」とどこかで誰かが言った。
十日かけて『空気さなぎ』に手を入れ、新しい作品としてなんとか完成させ、小松に渡してしまったあと、凪{なぎ}のように平穏な日々が天吾に訪れた。週に三日予備校に行って講義をし、人妻のガールフレンドと会った。それ以外の時間を家事をしたり、散歩をしたり、自分の小説を書くことに費やした。そのようにして四月が過ぎ去った。桜が散り、新芽が顔を出し、木蓮が満開になり、季節が段階を踏んで移っていった。日々は規則正しく、滑らかに、こともなく流れていった。それこそがまさに天吾の求めている生活だった——ひとつの週が切れ目なく自動的に次の週へと結びついていくこと。
しかしそこにはひとつの変化が見受けられた。<���傍点>良き変化</傍点>だ。天吾は小説を書きながら、自分の中に新しい源泉のようなものが生まれていることに気がついた。それほどたくさんの水がこんこんとわき出てくるわけではない。どちらかといえば岩間のささやかな泉だ。しかしたとえ少量ではあっても、水は途切れなくしたたり出てくるようだ。急ぐことはない。焦ることもない。それが岩のくぼみに溜まるのをじつと待っていればいい。水が溜まれば、それを手で掬{すく}うことができる。あとは机に向かって、掬い取ったものを文章のかたちにしていくだけだ。そのようにして物語は自然に前に進んでいった。
集中して脇目もふらず『空気さなぎ』の改稿をしたことによって、その源泉をこれまで塞いでいた岩が取り除かれたのかもしれない。どうしてそんなことになったのか、その理屈{わけ}は天吾にもよくわからないのだが、しかしそういう「重い蓋がやっとはずれた」という手応えが確かにあった。身が軽くなり、狭いところから出て自由に手脚を伸ばせるようになった気がする。たぶん『空気さなぎ』という作品が、彼の中にもともとあった何かをうまく刺激したのだろう。
天吾はまた自分の中に意欲のようなものが生じていることに思い当たった。それは天吾が生まれてこの方、あまり手にした覚えのないものだった。高校から大学にかけて、柔道のコーチや先輩によく言われたものだった。「お前には素質もあるし、力もある、練習もよくする。なのに意欲というものがない」と。確かにそのとおりかもしれない。天吾には「何がなんでも勝ちたい」という思いが何故か希薄だった。だから準決勝か決勝あたりまではいくのだが、肝心の大勝負になるとあっさりと負けてしまうことが多かった。柔道だけでなく、何ごとによらず天吾にはそういう傾向があった。おっとりしているというか、<���傍点>石にしがみついても</傍点>という姿勢がない。小説についても同じだ。悪くない文章を書くし、それなりに面白い物語を作ることもできる。しかし読む人の心に捨て身で訴えかける強さがない。読み終えて「何かが足りない」という不満が残る。だからいつも最終選考まで行きながら、新人賞を取ることができない。小松の指摘するとおりだ。
しかし天吾は『空気さなぎ』を書き直したあと、生まれて初めて悔しさのようなものを感じた。書き直しをしているときは、とにかくその作業に夢中になっていた。ただ何も考えずに手を動かしていた。しかしそれを完成させて小松に渡してしまうと、深い無力感が彼を襲った。その無力感が一段落すると、今度は怒りに似たものが腹の底からこみ上げてきた。それは自らに対する怒りだった。俺は他人の物語を借用して、詐欺同然のような書き直しをしたのだ。それも自分の作品を書くときよりもずっと熱中して。そう考えると、天吾は自分が恥ずかしかった。自分自身の中に潜んでいる物語を見つけ出し、それを正しい言葉で表現するのが作家ではないか。情けないと思わないのか。これくらいのものは、その気にさえなればお前にだって書けるはずだ。そうじゃないのか?
しかし彼はそれを証明しなくてはならない。
天吾はそれまで書きかけていた原稿を、思い切って捨て去ることにした。そしてまったく新しい物語を白紙から書き起こしていった。彼は目を閉じて、自分の中にある小さな泉のしたたりに長いあいだ耳を澄ませた。やがて言葉が自然に浮かんできた。天吾はそれを少しずつ、時間をかけて文章にまとめあげていった。
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