赤松の間に二三段の紅《こう》を綴った紅葉《こうよう》は昔《むか》しの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁《はなびら》をこぼした紅白《こうはく》の山茶花《さざんか》も残りなく落ち尽した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯《こがらし》の吹かない日はほとんど稀《まれ》になってから吾輩の昼寝の時間も狭《せば》められたような気がする。
主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立て籠《こも》る。人が来ると、教師が厭《いや》だ厭だという。水彩画も滅多にかかない。タカジヤスタ ゼも功能がないといってやめてしまった。小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。帰ると唱歌を歌って、毬《まり》をついて、時々吾輩を尻尾《しっぽ》でぶら下げる。
吾輩は御馳走《ごちそう》も食わないから別段|肥《ふと》りもしないが、まずまず健康で跛《びっこ》にもならずにその日その日を暮している。鼠は決して取らない。おさんは未《いま》だに嫌《きら》いである。名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯《しょうがい》この教師の家《うち》で無名の猫で終るつもりだ。
吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
元朝早々主人の許《もと》へ一枚の絵端書《えはがき》が来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑《ふかみど》りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞《うずくま》っているところをパステルで書いてある。主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、竪《たて》から眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。からだを拗《ね》じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相《さんぜそう》を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないと膝《ひざ》が揺れて険呑《けんのん》でたまらない。ようやくの事で動揺があまり劇《はげ》しくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうと云《い》う。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。そんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品に半《なか》ば開いて、落ちつき払って見ると紛《まぎ》れもない、自分の肖像だ。主人のようにアンドレア・デル・サルトを極《き》め込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。誰が見たって猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫の中《うち》でも他《ほか》の猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派に描《か》いてある。このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい。吾輩であると云う事はよし分らないにしても、せめて猫であるという事だけは分らしてやりたい。しかし人間というものは到底《とうてい》吾輩|猫属《ねこぞく》の言語を解し得るくらいに天の恵《めぐみ》に浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。
ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。人間の糟《かす》から牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入《はい》って見るとなかなか複雑なもので十人|十色《といろ》という人間界の語《ことば》はそのままここにも応用が出来るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。髯《ひげ》の張り具合から耳の立ち按排《あんばい》、尻尾《しっぽ》の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋《すいぶすい》の数《かず》を悉《つ》くして千差万別と云っても差支えないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論|相貌《そうぼう》の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。同類相求むとは昔《むか》しからある語《ことば》だそうだがその通り、餅屋《もちや》は餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。いわんや実際をいうと彼等が自《みずか》ら信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。彼は性の悪い牡蠣《かき》のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開《ひら》いた事がない。それで自分だけはすこぶる達観したような面構《つらがまえ》をしているのはちょっとおかしい。達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画《え》だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。
吾輩が主人の膝《ひざ》の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書《えはがき》を持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五|疋《ひき》ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍《おど》っている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側《わき》に書を読むや躍《おど》るや猫の春一日《はるひとひ》という俳句さえ認《したた》められてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶《うかつ》な主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻《ひね》って、はてな今年は猫の年かなと独言《ひとりごと》を言った。吾輩がこれほど有名になったのを未《ま》だ気が着かずにいると見える。
ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、傍《かたわ》らに乍恐縮《きょうしゅくながら》かの猫へも宜《よろ》しく御伝声《ごでんせい》奉願上候《ねがいあげたてまつりそろ》とある。いかに迂遠《うえん》な主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目《しんめんぼく》を施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。
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